@ 西本願寺帯広別院
(門徒総代を務めた功績を称える武市氏の胸像がある。) |
帯広駅の北東約1k、柏葉高校の近くに西本願寺帯広別院があります。
朝早く行った訳ですが、
木陰にひっそりと置かれた武市氏の胸像を見つけることが出来ました。
大事に維持管理されているからか汚れもほとんどなく、
昭和38年に作られたというブロンズ像の面差しはみゆきさんそっくりです。
さらに碑文を見ると奥様、
すなわちみゆきさんのおばあ様の内助の功もたたえられ、
追記(日赤功労者・岐阜県糸貫町(現本巣市)名誉町民)がされており、
追記の日付が「昭和50年10月5日」となっていることに驚かされました。
みゆきさんがデビューしたわずか10日後、
しかも直前に長男である眞一郎氏が倒れた
という極めて微妙な時期に追記がなされた理由はなぜか、
それとも偶然の一致なのか気になりました。
地元新聞社である十勝毎日新聞社に行って調べるにも時間がないため
(私にあとどれだけ時間が残されているのか)
今もこの疑問は解決されていません。
ちなみに、寺内に武市氏の墓はないようです。
*中島武市氏像の除幕式は1975年11月1日のこと、
テープカットされたのみゆきさんの従兄弟にあたられる方です。(管理人 註)
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| A 帯広神社(武市氏寄進の神馬像・鳥居(いずれも石造)がある) |
柏葉高校の西隣、十勝護国神社と並んであります。
(鳥居は「十勝地区岐阜県人有志」が建立した、と刻まれてあります)
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| B 中島公園(武市氏が帯広市に寄贈した公園) |
柏葉高校と道路を面した向かいにひっそりとある三角形の小公園。
「中島公園」と名づけられた由来はいまさら書くまでもありませんが、
公園の規模とは不釣合いなぐらい立派な銅像
(昔のソ連や今もある某国の指導者像ほどではないけど)が立っています。
帯広地方開拓の父・依田勉三氏が鍬を持ち蓑笠姿で横浜港に立ちつづけ、
十勝地方開拓への意思をしめした像です。
去年の「柏葉高新聞」には「歌姫と開拓者」と題した小文が載せられており、
武市氏が小学校時代に校長先生から
「人は一代、名は末代じゃ。
金は汚くためても社会公共のためにきれいに使うことが大切だ」
と教えられ、そのために事業家として成功しながら
様々な像を寄贈・寄進したことが記されています。
依田勉三像にしても、
昭和16年に寄贈した2年後に一度金属接収で撤去され、
昭和25年に武市氏は改めて寄贈したというのですから、
熱意の程が伺えます。 |