
岩内町教育委員会より赤灯台の場所をご教示いただきました。
「赤灯台」という名称は、灯台の色が「赤」だったためで
往時は「白灯台」というものが別に一基あったそうです。
建設されてから既に50年以上が経過している老灯台です。
大和埠頭から現在の赤灯台の場所まで片道3kmは優にあります。
(岩内バスターミナルから大和埠頭までもかなりの距離になります。)
途中分岐している旧赤灯台跡の方に寄ることも考えると
かなりの道のりになりますので、
行かれる方はご覚悟ください。
*実際に、現在堤防の上を歩けるか、
車両で乗り入れることは出来るかなどは未確認です。
【参考 みゆきさんと岩内港の赤灯台について】
岩内の赤灯台の話の初出は
おそらく東京スポーツ1976年4月30日付に掲載された
みゆきさんのインタビュー記事
「札幌在住の歌手 中島みゆき
故郷喪失の“ゴネ人生”」
だと思われます。このインタビューの中に
札幌で生まれ、道内を転々と歩いた。
「ふるさとなんてどこにもない。でも五つの時から十一まで住んだ岩内の“赤灯台”と、
そこから見た日本海の荒波は強烈に覚えているワ」
昔、ニシン漁で急激に栄え、急にさびれた港町・岩内。
最盛期に建てられた灯台も、彼女が見た頃はすっかりさびて“赤灯台”と呼ばれていた。よく上って見た日本海……。
ここにはしっかりとしたふるさとがあるくせに、なぜか「ないわよ」などといってしまう。
という一節があり、これが元祖中島みゆき研究本とも言うべき
こすぎじゅんいちさんの『魔女伝説 中島みゆき』に引用されて
(P26〜)
岩内のみゆきさんといえば
「日本海と赤灯台」
というイメージが広まったのではないかと思います。
こすぎさんはこの話を
サンケイ新聞の連載記事
「中島みゆきの さびしき友へ」第一部第3回にも載せています。
(1983年5月15日付)
|