自由研究 No.08

比較検証 「バードランドサーカス」と「この空を飛べたら」

第5回 「寒雀」

【はじめに】

1989年11月から雑誌「03」で連載された小説「バードランドサーカス」は、
1991年10月に「この空を飛べたら」として、単行本化されました。
変わったのはタイトルだけではなく、ストーリー、個々の文章表現にも多くの変更が加えられています。
両者を比較する事で、みゆきさんの創作過程や言語感覚が浮き彫りになるのではないでしょうか?

使用する資料
 
  • 雑誌「03」(ゼロサン)1990年7月号
  • 単行本「この空を飛べたら」(初版 1991年10月9日発行)

    以下、両者の文章の相違点を表形式にして掲載いたします。

【表の見方】

【数字】
「この空を飛べたら」
単行本版での文章の位置
(例) 3-15
⇒3ページ15行目
「バードランドサーカス」での(オリジナルの)文章
「この空を飛べたら」で修正された文章


両者の相違点  


111-6 アセチレンランプのしょぼい灯りを頼りにしながら、磯辺焼き屋の兄さんが手持ち無沙汰そうに何べんも何べんも同じ餅をひっくり返し温め直しては並べてる。
アセチレンランプの光って奴ぁいいねぇ。
こう、頼もしいかんじがすんだろ。蛍光灯なんかメじゃねぇよ、これに比べりゃあんなもん屁だよ
磯辺焼き屋の兄さんだって蛍光灯じゃ、こうは色男にゃ見えないだろ。なァ兄さん。
今夜は売れてねぇなぁ。冷めちまった餅を何べんも温め直してばっかりじゃねぇか。
111-12 日暮れから降り出した雨に、いつの間にやら吹きつけ始めた風が一緒になって、ときどきひどく冷たい嵐になる晩さ。
風が出てきたもんだから、雨が横なぐりになっちまってかなわねぇな今夜はよ。
111-13 餅屋の屋台の庇から、身を乗り出して兄さんがあたしを呼んでる。
屋台の庇から、身を乗り出して兄さんがあたしに呼びかけてる。
111-15 声をかけてくるんだ。
声をかけてくるんだから。


112-1 あれ?
ありゃ?
112-7 けどそうもいかないんだねぇ。
けどそうもいかないやね。
112-12 わりといいだろ。
わりといいねぇ
112-13 見えるだろ?
見えるさぁ
112-14 これは夏に拾って、ずっと持ってたやつなんだ。こういう物は夏になるとみんなゴミに出されるんだよ。
これはこないだの夏に拾って、ずっと持ってたやつなんだ。こういう物は夏になるとみんなゴミに出されるんだから。
112-15 うっとうしいんだろ、家ん中にゴチャゴチャ物がいっぱいありすぎて、
うっとうしいんだろうよ、家ん中に物がいっぱいありすぎて、


113-3 ホラ、この毛糸の帽子だって夏に拾ったんだよ。もひとつあるよ。
えぇと、この毛糸の帽子だって夏に拾ったんだ。カバンの中にはもひとつある。
113-4 冬に拾う物かい?あるともさ。第一、食べ物が傷んでなくて助かるし、冬になりゃあなったで、こんどはどこもかしこもみんな夏物をポイポイ捨てにかかるんだから。
冬に拾う物だって、たんとあるともさ。第一、食い物が腐らなくて助かる。冬になりゃあなったで、こんどはみんな夏物をポイポイ捨てにかかる。
113-5 物だったらなんぼでも落っこちてるよ。
物だったら年じゅうなんぼでも落っこちてるってことさ。
113-7 この手袋も見とくれよ。なかなかシャレてるだろ?
この手袋もいいもんだったねぇ。なかなかシャレてるよ。
113-8 切ったんだけどさ、
切ったんだけど、
113-13 してんだよ。
してんだよね。
113-15 あがってくれるといいんだけどねぇ。
あがってくれるといいんだよ。
113-16 締め出しくっちまうだろ。
締め出しくっちまうんだから。


114-4 煙草持ってないかい?
そこらに煙草ないかねぇ。
114-6 夕方から急な雷と雨になっちまったもんだからどうだい、
急に嵐になっちまったもんだからどうだい、
114-8 帰っちまったあとだよ。
帰っちまったよ。
114-11 昼のあいだはテカテカに晴れてまだ暖かっただろ。アベックたちがいっぱいやって来て、
昼のあいだは晴れてまだ暖かったからアベックたちがいっぱいやって来て、
114-12 たっぷり置いてってくれたからさぁ、ホラズダ袋ん中に三つも入ってるんだよ。いいだろ。
たっぷり置いてってくれた。ホラズダ袋ん中に三つも入ってるんだ。
114-16 痛ぇなぁ。
いつもより痛ぇなぁ。


115-2 やっぱり飲み屋は、ぱぁっとしてなきゃ。しんねりむっつりの飲み屋
へへん。やっぱり飲み屋は、ぱぁっとしてなきゃな。しんねりむっつりした飲み屋
115-8 あげないと
早くあげないと
115-10 忘れちゃいないからさ。
忘れちゃいないからさあ。
115-12 気がするよ。
気がする。
115-13 【該当句なし】
繁盛してたんだから。


116-4 ……あたし、いつも目まいがしてさぁ。
……いつ頃からだったかねぇ。あたし、なんだかいつも目まいがしてさぁ。
116-6 クビにされちまったんだよ。
クビにされちまったよ。
116-7 勤めても
どこに勤めても
116-8 娘の頃には頑丈でさぁ、
あたし娘の頃には頑丈だったんだよ。
116-9 出たんだよ。
出たんだ。
116-11 生理がいつの間にか月に二回も三回も来るようになってさ。
月のもんがいつの間にか月に二回も三回もあるようになってさ。
116-12 重っ苦しく痛むようになって、そのうちに目まいが止まらなくなった。
重っ苦しくて痛くって、そのうちに目まいが止まらなくなっちまった。
116-14 病院なんざ
おまえは病院なんざ
116-15 庭に穴掘って、
庭に穴掘ってさぁ、


117-1 言われてさ、いつだって
言われて、あたしら百姓はいつだって
117-3 この辺りにだって土はあるさ、あんまりないけどそれでも
この辺にも土はある、あんまりないけど、それでも
117-4 だけどいまじゃ年がら年じゅう血がダラダラと止まんなくて、腹が痛くて張ってさぁ。腰も痛むし。生理なんて、もうあがっても
だけど腹が痛くて張ってさぁ。腰も痛ぇ。いやだねぇ。月のもんなんてもうあがっても
117-12 古雑誌屋のおやじは、
古雑誌屋のおやじは年寄りを見るたんびに、
117-15 こないだ持ってたシクラメン?
持ってたシクラメン?


118-1 休みが続いた後になると必ず、枯れかけた植木鉢がゴロゴロ捨てられるんだよ。
休みが幾日か続いた後ってえと必ず、枯れかけた植木鉢がゴロゴロ捨てられるんだ。
118-3 放ったらかしといたくせにあわてて水をジャアジャアぶっかけて、
放ったらかしといた揚句にあわてて水ジャアジャアぶっかけて、
118-5 捨てちまう。
捨てちまうんだ。
118-6 答えなんか出やしないんだよ。
答えなんか出るもんじゃねぇんだよ。
118-9 大丈夫だよ。じきにまた花芽を持つだろうさ。
大丈夫なんだ。じきにまた花芽を持つさ。
118-10 なんだい、あたしが乞食のくせに庭なんか持ってる筈ないって疑ってんのかい。
ふん、みんなあたしが乞食のくせに庭なんか持ってる筈ないって疑ってんだ。
118-11 乞食にだって庭はあるともさ。教えてやろうか。
乞食にだって庭はあるさ。教えてなんかやんねぇよ。
118-12 知ってるだろ。そこの飯場に行ってみな。
あの飯場にあるんだ。
118-14 え?いやだね、あたしには土方やる力なんかもう残ってないじゃないか。
まさかあたしには土方やる力なんかもう残ってないけどさ。
118-16 拾って来て手入れして
拾って来てさ、手入れして


119-2 みんな元気になるんだ。
みんな元気になるんだよ。
119-3 街の人は何でも世話だの手入れだのってするのが嫌いらしいねぇ。みんなそんなに忙しいのかねぇ。
街の人は世話だの手入れだのっていうのが嫌いらしいねぇ。なんだってみんなそんなに忙しいのかねぇ。
119-4 そのくせ思いついた時にだけバカみたいにドッサリ肥料やってみたって、罪ほろぼしにもなりゃしない、
そのくせ、思いついた時にだけバカみたいにドッサリ肥料やったところで、なんにもなりゃしない、
119-5 虫だって、ついてたら手でさっさとつまんで取ってやればいいんだよ。
虫なんざ、ついてたら手でさっさとつまんで取ってやりゃいいんだ。


120-5 ――これは、あんた自身とたいして変わりのない者さ。
そうさね、これはあんた自身とたいして変わりのない者さ。
120-13 あんたは
お嬢ちゃん、あんたは
お嬢ちゃん、【改行】


121-1 いや、産みたくなかったかもしれない。そんなこと言ったらあたしを人非人だと蔑むかい。
産みたくなかったかもしれない。そんなこと言ったらあたしは人でなしだろうか。
121-2 父親になってくれるなんてありえない、行きずりの客の子をひとりで産むような甲斐性なんかない女だったんだよ、
父親になんかなってくれない行きずりの客の子を、ひとりで産むような甲斐性なんてありゃしない女だったんだよ、
121-4 くるんだよォ、不思議と。あたしはだから、
くるんだよぉ、不思議と。だからあたしは、
121-5 自分がきっと産みたい産みたいと必ず思い始めるってことが、身体の中からわかってくるからさ。
自分がきっとこの子を産みたい産みたいと思い始めるってことが、身体の中からわかってくるから。
121-7 【該当句なし】
きっと不幸になる。
121-10 あの頃よりも少しでも不幸になるのが怖いって怯えたほど、何かを守りたい幸福なんてものをどこに持ってたっていうんだろう。
少しでも不幸になるのが怖いって怯えたほど、守りたい幸福なんてものをどこに持ってたっていうんだろう。
121-15 堕ろしたんだよォ。
堕ろしたんだよぉ。


122-1 おどかしやがるんだ。
おどかしやがった。
122-5 孕まなくなった。そのかわりにだんだん、腹が痛むのと血が止まらねぇのがひどくなるもんでよ、
孕まなくなったよ。そのかわりにだんだん、腹が痛んで血が止まらなくなってよ、
122-14 どこか食い物屋の裏にゴム長をゴミに出してるとこがあるといいんだが。
どこか食い物屋でゴム長を捨ててるといいんだが。
122-15 あれは片っぽがダメんなっただけでみんな両方とも捨てちまうからね、どっちか大丈夫なほうを二つ集めりゃまだまだはけるんだよ。
片っぽがダメんなっただけでみんな両方とも捨てちまうから、どっちか大丈夫なほうを二つ集めりゃまだまだはけるんだ。


123-2 して行こう。
して行くか。
123-8 具合がいいんだよ、ホラ、なかなか。ああいうとこは毎日紙くずがたっぷりと出るだろう。あの乾いたやつが寝床にゃもってこいなのさ。
具合がいいねぇ、なかなか。ああいうとこは毎日紙くずがたっぷりと出て、あの乾いたやつは寝床にゃもってこいなのさ。
123-11 そりゃ紙もののゴミは温っかい からねぇ。温っかいよ。フカフカの、上等のそれも新品の布団さァ。
紙もののゴミは温っかいからねぇ。温っかいよぉ。フカフカの、上等のそれも新品の布団さ。
123-14 紙っ切ればっかりを
紙っ切ればかりを
123-16 くるまるとするよ。
くるまるとしようか。


124-1 翌朝に清掃車に
翌朝、清掃車に
124-6 あれバッグじゃないかい?
あれバッグじゃないか?
124-8 用心しなけりゃ。誰かそこいら辺に立ってこっちを見張ってないかい?
用心用心。誰かそこいら辺に立って見張ってるかもしれない。
124-9 落ちてたのを拾ったんだよってなんぼ申し開きしてみたって、
拾ったんだよってなんぼ申し開きしてみたって、
124-11 たちまちかっぱらったんだろうって決めつけやがるんだから。
たちまちかっぱらったって決めつけやがるんだから。
124-15 いるもんだね。
いるもんだねぇ。


125-1 化粧品ばっかりか。
化粧品ばっかり。
125-2 それからマニキュア……ちぇっ、
それから……ちぇっ、
125-3 全然読めない。
全然読めねぇな。
125-5 なんかには効くだろう。
飲めばなんかには効くだろ。
125-6 落とした奴がこいつを探しに来ないうちに、さっさとここから離れなきゃ。あぁ目が回ってなかなか先へ進まねぇや。
落とし主が探しに来ないうちに、さっさとここから離れなきゃ。あぁ畜生、目が回ってなかなか先へ進まねぇや。
125-8 歩きづらいな、
歩きづらい、
125-16 通っていく。
通っていくんだよ。


126-4 乞食ってのは三日やったらやめられないっていうだろ。あんた、なんでだと思う?
乞食は三日やったらやめられないってさ。
126-11 へへへ。
ほんとだとも。
126-12 やってみるとねぇ、
やってみると
126-13 いやってほど見えちまうんだよゥ。
いやってほど見えちまうからねぇ。
126-14 誰か、誰でもいいから他人をてめぇよりもうんと遠い物にしたくってたまらなくてさ、誰かに乞食って名札を貼りつけることで安堵してる。
みぃんな誰か、誰でもいいから他人をてめぇよりもうんと遠い物にしたくってたまらなくってさ、乞食って名札をあたしに貼りつけることで安堵してる。
126-16 そしてそういう
それからそういう


127-2 戻れなくなっちまうのさ。
戻れなくなっちまうさぁ。
127-4 【該当行なし】
怖くなっちまうんだよぉ。
127-5 たまんなくなっちまうんだよ。
たまんなくなっちまうんだ。
127-7 ――――てめぇ自身の、正体が、さァ。


あんたも乞食やるかい。

ま、やめときな。若いんだから。
ばいばい。
――――てめぇ自身の、正体が、さぁ。



私的考察


算出方法の定義が難しいので、相違点を厳密に算出する事ができないのですが、
少なく見積もっても90箇所以上の相違点があります。
これは前作「チャボを飼ってみな」から2ヵ月後の掲載ということ、つまり執筆に十分な時間があったことを考えると、
やや奇妙に思えます。
ただ、この連作小説において、この回、もしくはこの回の主人公(女乞食)こそ、
他のすべての回を繋ぐ重要な役割を演じていると考えられるので、
作者のみゆきさんも単行本化にあたって、再度、入念に推敲をしたのかもしれません。


【口調の変化〜ボキャブラリー〜】


連載版と単行本版を比較して、すぐに分る変化は、主人公の「女乞食」のボキャブラリーの変化です。
116-11、117-4 では「生理」が「月のもん」に
121-1では「人非人」が「人でなし」にそれぞれ訂正されています。
これは、おそらくほとんど教育を受けられなかったであろう主人公のボキャブラリーを
勘案しての変更だと考えられます。

【口調の変化〜誰と話しているか?〜】

基本的には各話の主人公の独白によって進行するこの連作小説において、
実は、この「女乞食」は、独白調でありつつも120-13にあるように「お嬢ちゃん」に語りかけたものでもあります。
「チャボを飼ってみな」も同じようにインタビューに答えるかのように主人公が語るわけですが、
「寒雀」の特に「バードランドサーカス版」では、
「お嬢ちゃん」が「女乞食」の同行取材しているかのような印象を与えます。
112-12、112-13、113-7、114-4、124-8などの疑問形で終わる箇所や
ラストの場面である127-7などには特にその印象が強い箇所です。

そして、「この空を飛べたら」ではそうした表現が変更されたり、削除され、
誰かに語りかけているのか、それとも独白しているのかが
曖昧な表現となっています。

私自身の考えでは、「バードランドサーカス版」の表現は、
この「寒雀」を書くに当たって
みゆきさんが実際に取材をしたことの名残ではないかと思います。

その根拠として、
日経新聞1990年6月30日付掲載のインタビュー記事
「最近、女性の浮浪者の話を小説に書いた。一人で彼女たちの集まる場所へ行ってごみをあさってみた。「紙で寝るのって、本当にあったかいよ」と笑った。」
という一節が挙げられます。
*ちなみにこの「紙で寝る」体験は、123-8以下に反映されています。

おそらく、「この空を飛べたら」でこうした取材者への語りかけという表現が後退したのは、
各話の登場人物が相互に連関することによって全体のストーリーが進行するこの小説において
物語世界に属さない「取材者」の存在が余計なものだとみゆきさんが考えたからではないでしょうか?


ご感想、ご批判、自論 お待ちしております。


この「バードランドサーカス」と「この空を飛べたら」の比較は
連載していく予定です。
そこで、今回私が掲載した相違点に基づいて別の観点からの考察がありましたら、
ぜひ、お聞かせください。

よろしければ、このページに
「私はこう考える」という形で、掲載してみたいと思っています。
(要 ペンネーム)

また、他にみゆきさんに関するデータや研究を発表してみたいが、
発表する場所が無いという方、
形式の整ったものでしたら(出典情報など)
私のホームページのスペースをお貸しします。
どうぞご相談くださいませ。