自由研究 No.04

比較検証 「バードランドサーカス」と「この空を飛べたら」

第1回 「鴉」

【はじめに】

1989年11月から雑誌「03」で連載された小説「バードランドサーカス」は、
1991年10月に「この空を飛べたら」として、単行本化されました。
変わったのはタイトルだけではなく、ストーリー、個々の文章表現にも多くの変更が加えられています。
両者を比較する事で、みゆきさんの創作過程や言語感覚が浮き彫りになるのではないでしょうか?

使用する資料
 
  • 雑誌「03」(ゼロサン)1989年11月号(創刊準備号)
  • 単行本「この空を飛べたら」(初版 1991年10月9日発行)

    以下、両者の文章の相違点を表形式にして掲載いたします。

【表の見方】

【数字】
「この空を飛べたら」
単行本版での文章の位置
(例) 3-15
⇒3ページ15行目
「バードランドサーカス」での(オリジナルの)文章
「この空を飛べたら」で修正された文章


両者の相違点


9-14 −信じられる?
信じられる?


11-9 「あー、今日は来ないきゃーもしれんよ」
「あー、今日は来ないかもしれんよ」


13-16 なぁーに、あんなの。
なぁんだ、あんなの。


17-7 押し合いへし合いのシェルターっていう有様になって、なんか、ドアの中でも外でも結局変わんないんじゃねェかな、
押し合いへし合いのシェルターっていう有様。なんか、ドアの中でも外でも結局水びたしじゃねェか、


18-14 なにを言いたいのかわかんなくなって、
結局なにを言いたいのかわかんなくなって、
18-16 どうせあっちは何十年も説教することに慣れてるから、
どうせあっちはいつも説教することに慣れてるから、


21-12 どうってことないんだけどさ。
べつに、どうってことないんだけどさ。


22-9 今日はバイク、一回でかかって走った。
バイクも。
22-13 マスコット、さげてた。
マスコット、さげてた。手作りっぽかった。



私的考察


相違点は9箇所

これは他の各編と比べても、非常に少ない数です。
第1回ということもあり、
「03」に発表した段階で、既にかなりの推敲を重ねていたのではないかと思います。

9-14から21-12までの修正は大きなものではありません。
「鴉」は女子高生「キョーぴん(青木京子)」の独白で進行する物語ですが、
9-14から21-12までの修正点は、
いかに女子高生っぽい独白にさせるかに狙いがあるような気がします。
18-16で「何十年も」を「いつも」と単純な表記に替えた箇所など、
特にそう感じます。

変更が大きいのは22-922-13になります。

22-9では気になる男性(倉橋圭)の運転するバイクが、
(普段は何回かかかるところを)「今日はバイク、一回で(エンジンが)かかって走った。」
という描写が「バイクも。」と簡潔な表現に替わっています。

逆に22-13では、
「マスコット、さげてた。」「手作りっぽかった。」という表現が追加され、
倉橋圭に彼女(Coo,Cooに登場)が存在することを、
より明確に示唆する形となっています。

22-9に関しては、前の行の「車がみんな走りだした。」を受けて、
「バイクも。」と簡潔にまとめたほうが、
よりリズムがよくなるという効果が考えられます。

ただ、それ以上に私は、
22-922-13との修正が、相互に関連していると考えます。
女子高生が、気になる男性がバイクに乗って信号待ちしている姿を見つけたとき、
バイクが走り出すまでの短い時間の中で、
なにを観察するのか?
といった場合、バイクの操作よりも、
自分にとっても身近であろうマスコット、しかも他の女性の存在を暗示する「手作りのマスコット」に
より注目するのではないか?

とみゆきさんは考えたのではないでしょうか?

ご感想、ご批判、自論 お待ちしております。


この「バードランドサーカス」と「この空を飛べたら」の比較は
連載していく予定です。
そこで、今回私が掲載した相違点に基づいて別の観点からの考察がありましたら、
ぜひ、お聞かせください。

よろしければ、このページに
「私はこう考える」という形で、掲載してみたいと思っています。
(要 ペンネーム)

また、他にみゆきさんに関するデータや研究を発表してみたいが、
発表する場所が無いという方、
形式の整ったものでしたら(出典情報など)
私のホームページのスペースをお貸しします。
どうぞご相談くださいませ。